魚梁瀬森林鉄道終着駅の風景です

f0231460_18135285.jpg

魚梁瀬駅を俯瞰した風景です
f0231460_9313863.jpg

f0231460_18392672.jpg
 魚梁瀬部落の駅です。ここから西川、中川、東川、大谷、谷山の国有林の事業所に森林鉄道が走っていました。多くの乗降客があり生活物資が運ばれて来るのでや行商人、買い物をする人で活気がありました。
一日一回田野、奈半利から魚や野菜、酒など貨車で運ばれここで暮らす人々の食糧をまかなうのです。
f0231460_1415286.jpg

魚梁瀬駅です。待合所には椅子もありここで乗ったり降りたりしていました。ここから田野、奈半利、安芸そして高知市へと発車しました。高知へは盆と正月くらいで行くとき前の夜は眠れなっかたですね。朝出て夕方ころに着きました。映画のポスターが二枚ありますがここには映画館が2つありました。多くの人もいました、娯楽もなくそしてこの時代は邦画の全盛でしたのでお客はよく入っていました。私のいた事業所から映画に行くには魚梁瀬まで10キロメートル、トロッコで下るのですが行きはよいよい帰りはつらい歩かなくてはなりません。見終えて帰り着くのは12時ころでした。魚梁瀬に着くと帰るのに腹が空くので、すぐにパンを買いました。2時間余り暗いレールの間をとぼと歩きました。暗い軌道、上を見ると覆われた木の隙間からわずかに星が見えました。
f0231460_19154274.jpg

終点の石仙です。魚梁瀬から4キロメートルくらいです。この奥に西川事業所、中川事業所がありましたのでこの土場で集められ積まれた貨車を10両、20両と連ねて田野貯木場、奈半利貯木場へと機関車が引っ張り森林鉄道を走るのです。運転席に乗せてもらったことがありますが、1台の貨車の長さは5メートルくらい何十両も連なればそれは長い列車、その上を制動手が跳び移りカーブを右に左に曲がりトンネルを抜け橋を渡り走る森林鉄道は圧巻のシーンとして記憶しています。
単線ですので駅では上って来る機関車などないか聞いてからでないと下がれません。すぐに通過できる駅もありますが、待たねばならないときもあります。待ったり止まったりで行き着くまでには時間もかかりました。駅には連絡員の専門の職種の方がいました。
f0231460_21141719.jpg

石仙から1kmくらい登ると西川事業所と中川事業所の分岐です。谷も二つに分かれ左へは西川右へは中川と軌道は右岸左岸と縫うように、奥へ奥へとひたすらに走ります。写真は中川事業所へハンドルを切ったところです。
f0231460_218373.jpg

中川事業所の複線です。石仙から8kmここから更に8km登れば作業現場があります。ここからは急勾配急カーブの軌道です。私はここで18歳から5年の歳月青春を過ごしました。毎日ここから歩いて現場へ通いました。帰るときはトロッコで時には材木を積む台車で制動棒を握り一人で下ったことでした。月の明かりで走ったこと脱線して怪我したこと苦楽の様々のできごとがあった懐かしいところです。
f0231460_2295145.jpg

最奥の作業現場の宿舎です。急峻な場所で下は絶壁です。魚梁瀬の山は山頂は比較的になだらかですが谷はV字峡谷です。森林鉄道の写真を見てもわかるとおりです。この場所も探した結果ここしかなかったのでしょう。さらにここから山の中には造林の小屋もあります。大雨でも降れば濁った水で炊事もせねばならないのです。電気などなくランプでの灯です。ここで宿泊もしましたが冬は隙間から風がしのび込み布団をかぶり丸くなって寝たことでした。終戦からの昭和の時代、不便のことは言わずひもじい腹で一生懸命に働いたのです。当時は賃金も安く質素倹約の暮らしでですがふり返ればこれが正しい生き方だったと思うのです。贅沢はいけません。分相応の暮らしをしましょう。
by aokinature | 2013-03-07 19:51 | 魚梁瀬森林鉄道
<< 魚梁瀬森林鉄道で暮らした人たち... 土佐のおきゃく 花皿鉢 盛り... >>