カテゴリ:魚梁瀬森林鉄道( 20 )

魚梁瀬森林鉄道 大正時代からの機関車です

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大正9年アメリカの蒸気機関車、スピードは遅く引っ張る力は弱く脱線は多くすぐに廃車となったそうです。
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昭和17年ころガソリン機関車
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木炭機関車
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 魚梁瀬西川事業所白土式木炭ガス発生機を装備した機関車、石炭、ガソリンに代わる安い木炭は戦前から戦後ディーゼル機関車になるまで使われた。
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               木炭機関車    奈半利
魚梁瀬森林鉄道は明治44年安田川林道馬路〜田野に軌道を敷設しトロリー運搬が開始されたました。それ以来昭和39年まで木材の搬出を主な働きと流域の住民の交通機関として産業、文化に貢献しました。木材と一緒に安田川奈半利川あるいは野根の川を変わる自然の風景を眺めて往復をしたことでしょう。命の保障はしませんと書かれた看板に何の矛盾も思うこともありませんでした。狭い木の椅子にひっついて座り乗れない者は荷物を積む貨車にかがみ、機関車に引っ張られ森のトンネルをくぐり終点の魚梁瀬に走りました。唯一の乗りもの外に何もありません、怪我をしても病気になっても病院に着くまではじっと耐えて行きました。命の綱だったのです。悲喜と苦楽の思い出が軌道の上には記録されていることでしよう。
by aokinature | 2013-07-17 14:28 | 魚梁瀬森林鉄道

材木を馬で曳いています

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昔の懐かしい風景です。山の奥から荷馬車の道を曳いてきたのでしょう。坂道は馬もそれこそ馬力全開で尻を叩かれ蹄(ひづめ)をたてねばなりません。この時代牛馬は貴重な動力でした。農家には必ず1〜2頭飼っていました。さて、木材は建築はもちろん道具、家具、このような馬車、燃料などすべてに必要なものでした。従って伐採から運搬、製材、加工建築と多くの人が関わっていました。仕事をする人も例えば家を建てるにしても大工、左官、建具屋、亙葺き、畳屋さんがいました。山を伐れば苗木をつくる人、植える人、手入れをする人と木材についてまわる職業が沢山ありました。仕事がありお金もとれた時代でした。木を植え歳月を待てばお金が入る計画が立てたのです。配当の良い投資の産業でした。山の売買で儲け得た仲買さんが沢山いました。この時代子供に孫にと苦労して山林に夢をかけて生きた人は今は80歳を越える老いの身、汗の沁みた山は二束三文買ってくれる人もいません。木を使わなくなった日本になりました。50年60年と大きくなれよ良い木になれよと育てのに見事に裏切られました。このようなことになろうとは想像すらしなかったでしょう。無念の思いで山を眺めていることでしょう。かすかにしか見えなくなった眼で、遠くの無言の山を捨てたことを詫びているのです。

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by aokinature | 2013-07-15 12:35 | 魚梁瀬森林鉄道

木馬(きんま)で引っ張ります

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      炭に焼く木を木馬(きんま)で運んでいます
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奥山の道のないところはこのように橇(そり)木馬(きんま)という運搬具をつくりこの上に木材を載せて曳くのです。曳く道には堅い木や竹を割って平べくしたものを敷きます。そりが滑りやすくするのに油など木にしみ込ませます。ブレーキである木の棒は上下して地面にこすりつけ制動します。危険な仕事で勾配を下るときは木馬に押されるので早く歩行せねばなりません。橋などは横の木だけですので踏み外すことのないようすいすいと足を運ばねばなりません。長い距離を山の尾根や谷を登ったり下ったりの力のいる重労働です。帰りは木馬を担ぎいで戻り1日何回かの往復をするのです。このような仕事は出来高制という賃金で1石いくらで決められ多く運べばお金が多く取れるのです。山の仕事は腕の立つ者が多く稼いだのです。昔は牛馬で曳いたり担いだり谷を流したり様々の方法を考えて材木を出しました。山の上から木寄せと言って材を下へ引き転がして集めそこから木馬にくくり付けて運びました。
by aokinature | 2013-07-10 20:33 | 魚梁瀬森林鉄道

魚梁瀬森林鉄道の景色です

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 馬路村です。安田川を登りこれからは山をくぐり久木トンネル抜け釈迦、魚梁瀬に向かいます。
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どこの土場、駅、事業所でしょうか。ご存じの方いませんか?
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昭和30年以前の森林鉄道の通っている奈半利川、安田川の景色です


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by aokinature | 2013-07-07 15:48 | 魚梁瀬森林鉄道

ブログの画像を使用さしていただきました

大正昭和初期のブログの画像は私の職場であった元高知営林局現在は四国森林管理局の写真です。魚梁瀬署、奈半利署に勤務しているときにこのような写真に出会いました。貴重な写真ですので35mmカメラで複写して現在まで持っていました。今年は魚梁瀬森林開設100周年と知り魚梁瀬で写した写真に加えて複写した写真を使いブログに出しました。森林鉄道発祥の地の歴史には必要欠かざる画像ですので使わさしていただきました。お陰さまで多くの方がブログを訪れて下さいます。日本の三大美林の魚梁瀬スギ、日本林業の歴史に刻まれた魚梁瀬森林鉄道を知っていただき魚梁瀬を訪れ森林に入り触れて欲しいと願っています。
by aokinature | 2013-07-05 22:49 | 魚梁瀬森林鉄道

魚梁瀬森林鉄道 運ばれた材木の終点田野奈半利貯木場です

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高知県の東部には安芸、奈半利、馬路、、魚梁瀬、野根の5営林署がありました。安芸を除いて4営林署が魚梁瀬森林鉄道で材木を搬出して田野貯木場と奈半利貯木場に運ばれました。ここで売られ関西の方にも船で運漕されました。貯木場は広く空いたところでは野球もできるほどの敷地でした。木材の売買も盛んで景気の良い時代、特に地元の製材業者は潤いを得たようです。魚梁瀬スギのブランドになるには昭和に入って後半のころのようです。当時は秋田スギが銘木で名を馳せ魚梁瀬スギもどこかでこの名に化けていたとか。
写真上の2枚は田野貯木場、下は奈半利貯木場です。
by aokinature | 2013-07-05 21:35 | 魚梁瀬森林鉄道

魚梁瀬森林鉄道 奥山の軌道のトロッコ、修羅(しゅら)です

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掘田(ほった)式制動機 ブレーキを操る危険なことが回避されるようになった。
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上下2枚の写真は犬が曳いています
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木材を搬出する方法とした林道や架線の張れないところでは、沢や凹地に写真のように材木を組みその上を滑らして木馬道や谷に落とし込んでいました。外にまみ出ないように木材の頭をつるはしやとびでまっすぐに行けやとコントロールするのです。
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4枚目5枚目は堀田式制動機で運ぶ山内の軌道を走る姿です。大正4年堀田弥太郎氏が考案しました。滑車とテコの両方の原理を応用してロープを引っ張ると、力が数十倍になりますのでその力で車輪とレールを圧して制動するもので多く使われました。この写真では一人の制動手が2台を操っています。飛び映ることがないのと勾配のゆるいところは危険は少ないと思います。しかし、急カーブ急勾配の軌道は相当の技術が必要です。
魚梁瀬は江戸時代土佐の十宝山のひとつで奈半利川流域は膨大な森林が伐られ材木が出されました。
ここに居る人たちはもう既に居ませんが、人跡未踏の地に入り斧を振るい奈半利の港まで森林鉄道で天然の材を送ったのですね。
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by aokinature | 2013-07-05 16:56 | 魚梁瀬森林鉄道

魚梁瀬森林鉄道 最奥山の軌道です

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ここにあります場所ご存知の方教えて下さい。
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森林鉄道は奥山までついていますが作業現場は更に奥地にあります。山の中腹にここにあるような山内軌道をつけそこからインクラインと呼ばれる軌道を荷貨車を降ろしていました。2台の貨車をワイヤーでつなぎ降りる力で空の貨車を上げていました。ここは機関車が上がりませんので勾配を利用して積んだ貨車を転ばしていました。大木伐り引っ張り出し貨車に積み込み飛び乗り制動棒をあやつりながら急勾配を走ったのです。機械のない時代すべて腕一本で運んだのです。雨も降れば雪も積む奥山の自然は苛酷です。この時代防寒する着物や道具はなく耐え苦労したことでしょう。この後に木を植えた人たちも同じように苦労したことでしょう。苗木を背負い坂を登り鍬を振ったことでしょう。見えない山の歴史を顧りみて先人たちを忘れないようにしましょう。
by aokinature | 2013-07-05 15:23 | 魚梁瀬森林鉄道

魚梁瀬森林鉄道 巨木を伐る杣夫

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大正昭和初期時代は斧鋸で木を伐倒していました。斧と鋸と木を倒す方向に使うかけ矢でどんな大きい木でも自在に倒し、倒した木を4m2mに切断していました。足がすくむような急峻な場所でも足場をつくり斧を渾身の力で根元に打ち込んでいました。魚梁瀬スギは貴重な材木ですので傷つけないに倒し玉切りをしていましたが、その技術はまさに名人と呼ぶにふさわしい杣さんでした。
下の2枚の写真は「はつり」と呼ばれる作業で、明治から昭和の初期は山から木を出すのはすべて人力ですので、利用価値のない部分をそぎ落として搬出していました。足元を見れば裸足わら草履危険ですね。優れた技術がなければできない仕事です。山の仕事は命を落とすことも多々あります、一人前の身をつけるには自然を相手に多くの困難を乗り越えねばならないのです。
by aokinature | 2013-07-05 12:09 | 魚梁瀬森林鉄道

魚梁瀬森林鉄道 大正時代から走っていました

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大正11年(1922)高知営林局に蒸気機関車が導入されました。木炭車、ディゼル機関車、ガソリン機関車が昭和39年(1964)まで走りました。機関車の煙をはきながら奈半利川の上流の源流の地、魚梁瀬へと登り、奥山からは木材、木炭を積んで煙りを吹き飛ばしながらトンネルを抜け鉄橋を渡り終点の貯木場に運びました。軌道は山を川を曲がりくねり縫うように緑をかき分け走り、山村は森林鉄道の走る風景に変わりました。機関車は未開の地を開いた勇士の姿のようにも見えますね。今は懐かしい郷愁の風景です。(写真は奈半利営林署在勤時にあったものをお借りしました)
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by aokinature | 2013-07-03 21:52 | 魚梁瀬森林鉄道