魚梁瀬森林鉄道で暮らした人たちの風景です

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水没直前の魚梁瀬部落です、すぐ上が移転する丸山台地です。
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懐古すればあまりにも懐かしい風景です。誰しも生まれたところ、育ったところ、暮らしたところは脳裏に残っていることでしょう。苦楽の思い出として年齢を重ねるごとに郷愁の地として増幅すると思います。この人里から離れた辺鄙な魚梁瀬の地はより深い思い出が身の中に入っていると思います。すべては移り変わり変貌していきますが故郷はあって欲しいと願っています、しかし、この故郷は水の底に消えました。喜びも悲しみもここで暮らした多くの人の魂もこの深い淵で漂っているとことでしょう。この写真にいた人たちはその後どのような人生を送ったことでしょうか。彼岸の川を越えた方もいるでしょう、カメラを向けた少年少女はもう何歳になったでしょうか。この子供たちは小学校から寮生活です。親は山の事業所で働いています。学校は魚梁瀬にありますので月曜から土曜までは離れて勉強です。小さい一年生かわいそうですね。私は18歳学生服で行李一つに布団を持って山奥の事業所に赴任しました。山の人たちとは家族のようにしてもらい暮らしました。私を育ててくれた二つ目の故郷でもあります。この魚梁瀬は日本でも代表する林業の地でありました。魚梁瀬杉という日本一のブランドで一つの時代を築きました。その昔江戸時代から土佐の宝の山として木材を供給し続けてきました。昭和30年ころは山は好況で山村は良き時代でありました。終戦の貧しさから脱けようと一生懸命に働いた時代でありました。洗濯機やテレビが節約をすれば月賦で手に入るころになりました。初めてのテレビは東京オリンピックで、山奥では映らず山頂からアンテナ線を何日もかけて引いたことでした。魚梁瀬には写真を撮りに行くことがありますが、変わり果てた風景になりました。ここを通り山に向かうのですが誰にも人影を見ない時もあります。私の住んだ事業所もそのころ小さい木も覆い茂りどこであったかわからくなっていました。アメゴやうなぎの泳いでいた淵は土砂でならされたいました。トロッコでカーブをふり落されないよう身を縮めて走った森林鉄道は、懐かしさが溢れ出る青春の思い出のところです。

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by aokinature | 2013-03-23 16:44 | 魚梁瀬森林鉄道
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