魚梁瀬森林鉄道 やなせ駅昭和30年以前のころの風景です 

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     魚梁瀬駅です。この当時魚梁瀬の木材は多く搬出されたいましたので伐採、その後に植え付け、保育の仕事、機関車の運転手、助手、修理をする人、森林軌道の保線手、宿泊所の炊事手さん、ここに食糧、物資が運ばれてくるのでそれに関わる人、などなどそれはそれは多くの人がいました。休日にはここに出てきますので機関車客車トロッコで魚梁瀬駅はごった返しの人でした。映画館が2つありましたのでいつも見て帰ったことでした。
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この写真いつまでも見ていたいですね。この時代写真機は珍しいもので好奇心いっぱいで見ています。少年少女娘さんお母さん皆んなにっこりといい顔をしています。子供は1週間ぶりにお父さんお母さんに甘えようと思っているのでしょう。まだ終戦のひもじい時代見つめれば苦楽が思い出される懐かしい写真、皆さん幸せな人生であったことと願いましょう。
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自転車は珍しいもの、ここは森林軌道で乗る場所もありません。子供たちは奪い合って遊んでいますね。昭和38年ダムができて車道が入りました。最初はみなさんオートバイを買いました。試験を受けるのに自転車に乗る練習をしてから受けました。交通機関は森林鉄道以外になかったので画期的なことで歴史が変わったと言うことでしょう。
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客車です。郵便さんがいますね。1日1回馬路から持ってまた差し出し便を持って帰るのでしょう。私の職場にも郵便さんと呼ばれる人がいて魚梁瀬に郵便物、新聞、書類など受け取りに行きました。新聞は午後、郵便は随分日数がかかりました。ある勤務した職場では全国紙は翌日配達のこともありました。
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児童合宿所です。事業所の子供はここに泊まり学校に通っていました。月曜日の早朝ここに送られて1週間合宿して土曜日に事業所に帰るのです。幼い1年生から親から離れ団体生活、舎監さんにも叱ら
れたそうで可哀相ですね。ふとんの中で泣いたこともあったあでしょう。
         下の写真は石仙でしょうか?
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この写真はその昔高知営林局で多くの魚梁瀬風景や暮らしを撮られた寺田 正さんの写真です。私が魚梁瀬に居るときお譲りいただいたものです。アルバムに貼ってありましたが貴重な写真ですので皆さんに見ていただたらと考えお出しした次第です。お許し下さると思います。見ますに昭和30年ころだと思います。私は34年からここいましたので少し前の景色のようです。上から2枚目の写真、客車に乗れないときは荷物を積む貨車、これは「ぼさばこ」と言いますがこれに乗降していました。これは土曜日父母の居る事業へ帰るのでしょうか嬉しそうです。屋根もなく冬は寒く身を寄せ合って固まって乗ったことでした。自転車も珍しいでところです。道もせまく坂ばかりですので乗る場所もないのです。ここに車道が入ってオートバイの免許をとるのに2輪に乗れない人がいました。森林軌道と歩くことだけの辺鄙なところでした。私も8年居ましたので歩きました。有り難いですね、今も歩くのは身につき苦になりません。ここには郵便さんもいますね。郵便物は魚梁瀬までで、事業所からは魚梁瀬まで取りに行くのです。新聞などは昼すぎに着きます。森林鉄道ひとつの道、行きも帰りもこれだけ1日1回乗れなければ歩くしかないのです。
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by aokinature | 2013-06-13 20:21 | 魚梁瀬森林鉄道
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